2016-02-10 23:27:00
黄砂まじりの風邪と見せかけた花粉がらみのA型インフルエンザはつらい。そこから違和感なくB型を催すのは分かりづらいしフェアじゃない。一角のウィルスとしてどうかと思う。獰猛な0型はまだ訪れていないが、現れたら刺し違えてもいい
「チャングム以来、見てません。はまったのは花神ぐらいです。大村益次郎の額がひどくて。だからそのぶん請求してください。益次郎の額のぶんだけ。それ以外びた一文払うか!」
インターフォンが鳴るとモニターにぶちきれる。NHKの集金と見間違えた福音会の方には心配させてしまい、申し訳ない。誓って悪気はなく、憎悪しかありません
無性に殺気だち、茶漬けしか食えない。おかゆはわびしく泣けてくる。具なしの永谷園でいい。贅沢を言えば、ひめぴりかに十六茶ダブルで割ってほしい
そう口走ってタミフル臭い舌は毒づきもしたが、何も親指を漬けて出すことはないだろう。やけに生白い女はお茶漬けをサイドテーブルに叩き置いた。無言である。すみやかに帰れと言いたいのか。ここは俺の家だ
京都のいわゆる、ぶぶ漬けのすすめ、茶漬けはそろそろ帰れのサインは、落語からの派生や永谷園の陰謀など諸説ある
招かれざる客や長居する隣人に使うのがもっぱらとされ、そんなもの日常では聞かないと京都人は言うが、ぶぶ漬けを一服に置き換えると、それに近い光景は珍しくなく、そこに答えがあるような気がする
本来は仕事に追われて忙しなく帰ろうとする方に、たとえば佐川男児に、ぶぶ漬けでも召し上がって、ゆっくりしていかはったら、という思いやりに満ちた含意があり、転じて皮肉に使われるようになった
それはあくまでも持論の理想だが、たとえそうだとしても、相手には茶漬けを食う時間などなく、断るのを分かっていて勧めるいやらしさは否めず、その前提こそが京都人を遠回しの天才たらしめる所以と言ってもよい
隣人のお菓子を見て京都人はこう抜かす
「それ一人で食べきれる?」
ちょうだいとは言わない
そんな京都がもどかしく、東京に出た私にも脈々と気質は受け継がれていたようで、飽きると出る癖がある
酒場で仲良くなった女にふと番号を聞く。そこに下心はなく、ぶぶ漬けのすすめにほぼ近い、お別れのしるしである。さっさと切り上げたいのだ。あっさり断られるのもよし、しかしながら頑なに拒否されると、のちのち半笑いではすまない
相手が只のBや内面のひどいBならともかく、勘違いの険しいBを激しくこじらせたBフラットマイナーシックスであれば、八坂堂にやられかけた!などと吹聴されかねず、偏見ではなく、和風な生白いBはその傾向が濃い
「食ったらすぐ帰る!」生白いBは言う
うっかり腰を浮かせたが、だからここは俺の家で帰るのはあんたのほうで、いや、帰るというか、変えてください。すみません、チェンジで
「タヒ!」
君には負けたよ、お入りなさい
とはならないから!
そこまじ鬼門
まったく京都人ってやつは
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